軍艦島


 生まれてからずっと、長崎県に住んでいるのに、
 「軍艦島(端島)」の存在を知ったのは、つい数年前の事である。
 2年間、長崎市民だった事もあるのに、全然知らなかった。

 そこで、軍艦島を実際に見てみようと思った!
 廃墟マニアの聖地!!


※ご注意※
 私は、軍艦島に上陸した事はありません。
 上陸方法を聞かれてもお答えする事はできません。
 これは、軍艦島関係のサイトでは決まり文句ですネ。

 大学などの調査目的での上陸は許可されるようですが、それも最近は厳しいようです。
完全上陸禁止になっています。

 最近では2005年8月23日だったか、その日限り、報道陣に一般公開されたようです。

 先日の「九州伝承遺産シンポジウム2005」で、大学の先生が、上陸許可を求めている
が、なかなか許可されないので、この場を借りて再度お願いをしておきます、などと話して
いました。

 建物は崩壊の危険あり、と言われれば確かにそうなのですが、せめてグラウンドまで
上がって見られないかな〜などと妄想しています、私は。(笑)

 そうすると、じゃあ、もうちょっと奥まで探検しようか、という気持ちになるのが人間だと
思います。どこに線を引くか。バリケードがあっても、乗り越えてしまう、それも人間だから。
やっぱり完全上陸禁止にするしかないんでしょうね。現状は・・・。

 無断で上陸した人のサイトがいくつもありますが、皆さん、自己責任でやっていると
思います。
 ケガしても死んでも、救急車も来ない、誰にも見つからない、おそろしい場所です。
 一人ぐらい死体が転がっているんじゃないか。そんな事も考えてしまいます。


2005年8月28日(日曜日)



 ↑ 長崎港、出島ワーフ近くにある、マルベージャの乗り場。
    浮き桟橋の向こうに見えている小型船が、今回乗った船である。

 「マルベージャ」は3隻あって、
    ・マルベージャ  定員57人 (今回乗った)
    ・マルベージャ2 定員370人
    ・マルベージャ3 定員225人
となっている。

 金曜日の夜中に、「やまさ海運」のホームページから、予約をしておいた
のだが、何も返事がなかったので不安だ。一応、返事を待っていた。
 当日になって予約も何もないだろうと思って、いろいろ思案しながら、電話も
していなかったが・・・。

 まず長崎港ターミナルビル(大波止電停で降りて、夢彩都より海側にある)の、
7番窓口に行って、いきなり「13:30の野母崎まで行くヤツは乗れますか」と聞いた。

 そうすると窓口のオジサンが、まだ若干、空きがありますとのこと。それじゃ往復で
お願いしますと言って、乗船券を買った。往復で¥3,000だった。
 ※ピンク色の券は、往復の帰りの分。

 野母崎で降りる人は片道を買えばよい。
 (実際、ツアーの団体は、野母崎に送迎バスが来ていた。)

 「初めて乗るので、乗り場がわからない」と言ったら、乗り場ご案内という紙をもらった。
 8番乗り場だそうである。
 13:30出発だが、13:15頃になったら船に行くといい、との事だった。

 まだ時間があったので、待合室のソファに座り、ドキドキしながら待っていた。
 とりあえず、船上で飲むためのペットボトルの飲み物を買った。
 日差しが強い事を予想し、水分補給が必要と考えたからだ。

 時間になり、船に向かった。一番乗り!
 船の前に係員のオジサンがいて、乗船券の半券をもぎってくれる。

 デッキの椅子に座ったが、けっこう揺れていた。酔わないだろうか。
 それと、古い歌が流れていた。これは航海中も色々変わって流れていた。
 青い山脈、長崎の鐘、とか。
 古い真空管のラジオから流れてきそうな歌ばかりだ?

 ところで、デッキの座席のどこに座るかだが、船の進行方向に対して、左側が良いと
判断した。
 それは、軍艦島クルーズを紹介した写真で、軍艦島に対して船が右向きに進行して
いたのを思い出したからだ。
 結果的に、この判断は正しかった。先に書いてしまうが、帰りは、右側に座るのが良い。

 ずいぶん暑さもやわらいできたが、やはり少し日差しが強めだと思った。帽子を
かぶってきた方が良かった。せめてタオルでも持ってきたほうが安全かなと思った。

 帽子といっても、ラジオライフのペディションでもらったやつしかないので、これをかぶって
軍艦島を見に行ったら、見た目そのままマニアみたいだ。

 さて、船の出発の時間になった。


軍艦島へ!

 さあ、やけに古い歌をガンガン鳴らして、出航だ!!
 待ってろよ軍艦島!

 海面を抜ける潮風が、とても気持ちいい。


 ↑ これは女神大橋といって、来年には開通するそうだ。


 途中、三菱の造船所や、建造中の船などを横目に見ながら船は進んでいった。

 私は・・・軍艦島ハァハァ・・・・・・早く見えないかと、ソワソワ。


発見!

 高島の風力発電風車と、中ノ島との間に見え隠れする、
 あの人工的な島影は・・・もしかして・・・・・・

 どう見ても、他の島とは違う、ドットがカクカクしたような人工的なシルエット。
 キ、キ、キター!!

 このとき、自分の目では確かに島影がわかったのですが、デジカメじゃ
わかりませんね。自分の目は勝手にズームが効くのでしょう。
 こんなふうに、デジカメと自分の目とのギャップに困る時があります。まだ
まだ写真技術が未熟なのか、もっと良いカメラを買う必要があるのか?


 だんだん近づいてきた!



 その前に、これは「中ノ島」で、軍艦島の隣の島である。

 中ノ島の海岸を見ると、その色で目立つのだが、煉瓦づくりの建物らしい物が
崩れているのがわかる。たぶん、火葬場の跡らしい。


 軍艦島がどんどん迫ってきた!!

 この島影は、まさしく「軍艦」のようだ!


 ついに来た!!!!

 (これは反対側からの写真)


島の周囲をグルリ一周

 上陸したいハァハァ・・・(上陸は禁止です、念のため)。

 なお、以下の写真はデジカメではなくビデオからの取り込みなので、画質が悪く
なっています。ご了承ください。
 日陰というか逆光というか、わかりませんが、その方向からの写真は、暗くなって
いますね。

 船が回った順番で、写真を紹介していきます。


 ☆端島小・中学校

 写真集などで見たものを思い出したが、それらよりも破壊が進んでいた。
窓ガラスがついている部屋が少ない。

 ☆65号棟、端島病院、隔離病棟

 右の写真は、帰りに、角度をかえて撮影したもの。

 ☆最近の修理工事箇所

 そう、壊れたらちゃんと修理されているのです。

 ☆59〜61号棟(と思う)


 ☆16号棟あたりか? 下にハシゴが見える。


 ☆「立入禁止 長崎市」だそうです。ハシゴがあるのに。

 のぼりたい・・・
 「立入禁止」が「立入歓迎」に見えるカモ・・・(をいをい)

 船着き場は数カ所ありますが、みんな、こういう看板が付いています。
 しかもその付近の海には、何やら赤い蛍光色の浮きがあります。一種のバリケード
でしょうか。センサーが感知して海上保安庁に通報とか、そういう仕掛け、ではないと
思いますが・・・。

 この立入禁止の標識は、これまで何度もバージョンアップしています。
 いろんな廃墟サイトや本などを見たら、過去には、高島町のものもあったと思います。
 不要になった標識は、どこへ行ったのでしょう。おそらく職員の方が回収したのでしょう
が、コレクションに加えたいですね(?)。


 ☆51号棟、そしてその隣の48号棟

 51号棟は、背中側で16〜20号棟と、通路がつながっています。

 ☆公民館と映画館(壊れています)

 少し奥に、木造のお寺があったそうですが、壊れています。
 右の写真は、帰りに、角度をかえて撮影したもの。

 ☆31号棟

 右の写真には、30号棟が見えています。

 ☆南側の端です。

 なんか、軍艦の先端部分のようです。
 戦艦「土佐」に似ている島姿だそうで、このへんで記念写真をいかがでしょうか、と
ガイドのオジサンが言っていました。

 ★ここからは、島の東側に回ります。

  ちなみに、ここでauの携帯電話で通話してみたら使えました。ちゃんと通じます。


 ☆てっぺんに灯台、その下に30号棟が見えています。


 ☆30号棟 (右の写真はズームしたもの)


 ☆灯台の横にあるのは貯水槽


 ☆炭坑施設があった場所ですが、何もかも壊れています。


 ☆左の写真はドルフィン桟橋、右の写真にはベルトコンベアの跡が見えます。

 鳥居みたいなものがベルトコンベアの跡ですが、
 下をくぐってみたいです。

 ☆3号棟

 高いところにある建物ですが、幹部社員が住んでいたそうです。
 そのようなガイドさんの説明に、まわりの人たちは何やらガヤガヤ反応してい
ました。偉い人ほど上のほうに住んでいるという構造に、驚いたのでしょうか。

 ☆端島神社

 台風がきても壊れずに建っています。
 何か奇跡のようなパワーがあるのでしょうか。
 それとも、有志が修理しているのでしょうか。わかりません。

 ☆体育館

 この島では、最も新しい建物だそうだが、屋根が
 はがれてしまっている。

 ★これで一周したので、船は野母崎港へ向かった。
  野母崎港は、「海の健康村」の前にある。普通の漁港のようだ。

  降りるのを見て、意外に多かった団体客。
  帰りは何と、デッキに5人しか乗っていなかった。


 上の写真は、再び軍艦島に向かっているところだけれど、
    (男+女) + (男+女) + 男(私)
という構成だった。

 やい、船の先頭に立っているんだったら、タイタニックごっこしろ。(笑)

 私は男ひとり、デジカメやビデオを振り回して撮影に熱中しているのだから
どう見ても廃墟マニアだな。

 私は船から降りないで、「このまま乗っていますから」と係員に言って
帰りの乗船券を渡しました。

  船は、15分か20分ぐらいしか野母崎港に滞在しません。

  何人か、海岸の防波堤のところに行って、そこから軍艦島を眺めていま
  した。


 ☆帰り、再び軍艦島へ・・・


 今度は、さっきとは反対方向で島のまわりを一周する。
 デッキの座席は、進行方向に対して右側を選ぶと良い。

 ☆あとでビデオを見て気づいたが、屋上に人がいるような?

 煙突か何かかな。人の姿に見えなくもないが。人じゃないだろう。

 ☆これも、屋上に人がいるような?

 手前の建物の屋上の、右のへりの所・・・気のせいか。

 ☆カメラを回して、軍艦島をバックに自分を撮影しようとしたがうまくいかず。


 ☆「サヨナラ ハシマ」

 また来るから。たぶん来週ね。(をいをい)


再び長崎港

 ☆もと青函連絡船(いまは海上ホテル)


 ☆松ヶ枝埠頭に停泊している、海上保安庁の巡視艇

 軍艦島に上陸してウロウロしていると見つかってタイーホされるかもしれませんよ!(笑)

 ☆マルベージャのトイレ

 ボタンを押したら、床下から、ものすごい音がして水が流れました。

 ☆超大型クレーン

 半球状のものは、ガスタンク(LNG運搬船用)である。
 その前を人が歩いていたが、アリのように見えた。

 このタンクは、通称「タコヤキ」だそうです。(某関係者より)


 ☆女神大橋の下をくぐる

 雨が降ったあと、排水がダラダラ落ちてくるのかなあ・・・?


 長崎駅では、ちょうど「24時間テレビ」のイベントが行われていました。
 募金をやっている前って通りにくいです。


ケガ

 大波止付近に遊歩道がありますが、そこでヒザをぶつけて内出血しました。
 自転車などが入ってこれないようにしているバリケード(鉄パイプ)に、ぶつけた
のです。

 そんなに痛くなかったので、気にしないで放置していました。
 ところが、風呂に入っている時に、こんなになっているのに気づきました。

 右ヒザ

 痛みはほとんど無いのに、見た目がひどいです。

 打撲、内出血について調べたら、当日は風呂で暖めてはイカン、との事。
 そんなの知らなかったよー!!

 最初は冷やし、後日、暖めて吸収を促す、ようです。
 もう遅いです。今日は8月31日、ひたすら吸収を待っています。


※ちなみに、アザの左横には、また別の傷跡がありますが、
 これは床に放置していたセロハンテープのカッターに、誤って、ヒザを
 ぶつけてしまい、刃物でパックリ開いてしまった時の傷跡です。

 昔なので忘れましたが、けっこう大きい傷で、たぶん縫合するのが普通なの
 でしょうが、私は手でおさえて、くっつくまで待っていたと記憶しています。


軍艦島に関する書籍など

 私が所有している書籍などを紹介します。あれこれ買いまくっています。

☆書籍
 (1)「軍艦島 眠りのなかの覚醒」 雑賀雄二 淡交社

 (2)「崩れゆく記憶 端島炭鉱閉山18年目の記録」 柿田清英 葦書房

 (3)「ビジュアルブック 水辺の生活誌 軍艦島 海上産業都市に住む」
    伊藤千行−写真 阿久井喜孝−文 岩波書店

 (4)「がんばれ軍艦島」 逸見三平 新風舎

 (5)「軍艦島 失われた時を求めて・・・。」 軍艦島を世界遺産にする会
    ※限定1000部

 (6)「廃墟の歩き方 探索篇」 栗原亨 イースト・プレス

 (7)「軍艦島 実測調査資料集 大正・昭和初期の近代建築群の実証的研究」
    阿久井喜孝・滋賀秀實 編著  東京電機大学出版局  初版
    ※軍艦島に関する資料では究極のものです。3万円ぐらいでした。

 (8)「NO MAN’S LAND 軍艦島」 小林伸一郎 講談社

☆DVD
 「O project presents 軍艦島 FOREST OF RUINS」




(作成中)


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